おはなしの練習

文章力の復活をめざして

フジファブリックのきらきらひかれ(チャットモンチートリビュート)

チャットモンチーが完結するにあたって、トリビュートアルバムが制作された。そこにフジファブリックは「きらきらひかれ」のカバーを寄せている。

 

チャットモンチーは、わたしにとっても思い出深いバンドだ。中1のときにハナノユメが発売、高1のときにはガールズバンドでコピーをした。ライブを見たのは2008年荒吐の一度きりで、いつのまにかあまり聞かなくなってしまったけれど、わたしの青春にはかかせないバンドだった。

 

そんなチャットモンチーが完結するという。トリビュートアルバムのうち4曲くらいは知らない曲で、わたしが離れている間もチャットモンチーは活動していたんだよなぁ、と改めて思った。

「きらきらひかれ」も聴いたことがなかった。アルバム発売までに聴かないと、と聴いてみると、相変わらずのえっちゃんの力強い声が響いてきた。生命力を感じる声で、聴いた人の手を引いて突っ走ってくれるような応援歌だと感じた。自分自身のことも鼓舞しているように聞こえた。

そしてフジファブリックのカバーも、期待以上のものだった。原曲の素晴らしさを再確認しながら、フジファブリックカバーの魅力について、書きたいと思う。

(アルバムは全編聴いた。曲のよさとアーティストの思いと自分の思いとで涙が滲んでこまったのだけれど、今回はとくに大好きなフジファブリックについて触れたい)

 

 

「きらきらひかれ」は、フジファブリック本人たちによる選曲だそうだ。なるほど、チャットモンチーへの餞としてもぴったりである。

 

今回のカバーは、なんといっても山内総一郎の歌が抜群にいい。原曲の思いを大事に大事にしながら、自分の気持ちもしっかりとのせている。

山内総一郎は、特殊な経緯で歌うこととなったボーカルだ。亡くなった前ボーカル志村正彦の曲を歌い継ぐ、、そういった背景ももちろん影響していると思うけれど、人の思いを尊重しながら自分の気持ちものせられるのは、本人の資質によるところが大きいと思う(だからこそ志村の歌を歌えるのかもしれない)。

 

そして、フジファブリックがカバーすることで歌詞の意味を改めて掴みなおしたような気がする。

 

きらきらひかれ! ぼくらのほしよ

なみだじゃないよ きみのみらいさ

きらきらひかれ! ぼくらのまちよ

ぴかぴかしてて きみのひとみよ

でんきじゃないよ きみのこころさ

きらきらしてて ぼくらのみらい

 

これはサビの歌詞である。

チャットモンチーが手を引く応援歌だとしたら、フジファブリックは優しく背中を押す応援歌だと思う。同じ歌詞なのに不思議だが、チャットモンチー自身がいうようにフジファブリックのカバーからは包容力を感じる。

 

泣いてしまうときがあっても、未来は輝いているから大丈夫。自分では気づかなくても(例えば電気に照らされてるとか誰かのおかげだと思ってしまっても)、ちゃんとあなた自身が輝いているから大丈夫。

 

ひねくれた気分のときだと「わたしのなにを知ってるんじゃい」となりそうなものだが、このメッセージを素直に受け取ることができた。

山内総一郎はよく人を褒める。ライブでも「いい曲〜」「(メンバーに対して)かっこいいね」とよく言うほどだ。

もちろんわたしは面識なんてないが、もしも山内総一郎が身近にいたとしたら、きっとわたしのことも褒めてくれるんじゃないかと思う。自分には輝いてるところがあるし、自信をもっていいし、未来はきっと明るい。そう思っていいくらい説得力のある歌で、サウンドだ。

 

 

なくなるまで なくならない

あたりまえなど ひとつもない

はかなくても つづいていく

うつくしく ありたいから

 

この歌詞にも言及したい。

フジファブリックは、志村の急逝により解散の危機にあった。けれど「フジファブリックをなくしたくない」一心で彼らはバンドをこれまで続けてきた。メンバーが生きていることも、バンドが続くことも、あたりまえではないのだ。

そんな背景のある彼らがチャットモンチーの完結に寄せてこの歌を贈るのは、意味が深いと思う。チャットモンチーは完結してしまうけれど、とてもうつくしかった。

 

「きらきらひかれ」は、とてもメッセージ性の強い歌だ。そして説得力や胸に響く力強さがありながらも、説教くさかったり、押し付けがましかったりしない。

フジファブリック自身が自分たちの力を信じて、きらきらぴかぴかの未来を目指したから、いまの姿があるのだ。だからこそ、彼らから発せられる前向きなメッセージはこんなにまっすぐに伝わるのだと思う。

 

 

フジファブリックのカバーは、演奏力の高さと独自性あるアレンジをもって自分たちの良さもだしながら、「この曲のここがいい」というところをさらに引き立たせている。


フジファブリックはそんなカバーをしてくれるから、聴き終わったあとは「めっちゃいい曲ー!!原曲も聴こ」となる。
(2017年のアコースティックライブでも他アーティストのカバーを数曲していた。カバーが良すぎてライブ後すぐに原曲を聴いた。チャットモンチーの染まるよも歌ったらしい。聴きたかった、、)

 

カバーすることで、原曲の魅力もバンドの魅力もよりひきだされる。これはカバーのいちばん望ましいかたちなんじゃないか。フジファブリックについてだけ書いたけれど、今回のトリビュートアルバムはそんな曲ばかりだった。

 

 

余談だが(あれも余談これも余談)、仕事先のひとが大の音楽好き、とくにチャットモンチー好きだそうだ。フジファブリックは志村さんのときは聴いていたが、それ以降は聴いていないという。

彼が、このアルバムをきっかけにいまのフジファブリックも聴いてくれたらうれしい。

わたしもいま一度、チャットモンチーを聴きたいとおもう。

おはなしの練習

ブログをつくってみました。

目的はブログタイトルの通りです。

 

おはなしの練習。

 

もともとはおはなし好きだったけれど、いつしか話すこと(自分の意見を語ること)が減りました。

自分の話すことの妥当性に不安があったり、好きなものについて話したらばかにされてかなしい思いをしたり。

そういう積み重ねがあって、人は人だし自分は自分、伝えずとも自分の中で考えをもっていればいいや!と伝えることを放棄していたら、なんだかだんだん頭がわるくなってきたような気がします。

 

頭がわるいというのは、考える力がないということ。

なぜ自分はそう思うのか?どこが好きなのか?嫌いなのか?人の意見についてどう思うか?

そういうのって、普段からちゃんと自分の中で整理していないといざというとき話せないものだなぁと思います。

あの人はこういってるけどわたしはこう思うし、どっちでもいいよね〜!と寛容なつもりでいたら、なぜわたしはこう思うのか?を自分の中でも言語化することが難しくなってしまいました。

伝えることだけを放棄したつもりが、わたしは考えることも放棄してしまっていた。

 

考える力、伝える力を取り戻すため(もともとあったかは疑問)、興味のあるあらゆることをちゃんと言葉にしていきたい。

どっちでもいいよね〜!のスタンスは崩さず、自分はこう思うというのを明確にしていけたら。

あとから読み直して照れくさいようなことも、恐れずに書いていきたいなぁと思います。

 

うまく書けなくても、練習だ!

よろしくお願いします。